★起立性調節障害〜友達と会うのが怖い②〜
どうもーレオンです!最近台風がくるやらで頭痛に悩まされてましたσ(^_^;)本当低気圧嫌いだーーー!!!
とまぁー、そんな雑談は置いといて…本題に入りましょう!
前回症状の話、対処法などでしたね!今回はその続きなので友達と会うのが怖い①を見ていない方は是非それを見てからの方がわかりやすいと思います。
さてさて、早速お話に入りましょう。
④なぜ友達と会うのが怖いのか
なぜ怖いか、それはこれまで何度も友達の前で倒れ、迷惑をかけ続けている事がトラウマになっているからです。
今までの倒れた時のことをピックアップして書いていこうと思います。(´-`).。oO(本当は思い出したくないんだよ
・サークル活動を学校でしている時に倒れて、救急車が学校に来ました。
・気持ちが落ち込んでいる私のためにお寿司をおごっている時に倒れ、タクシー代まで出してもらいました。
・花火大会に行く前に集合場所で倒れて、病院まで連れて行ってもらい、花火大会に行けませんでした。
・車校の途中で倒れて、予定を全て変えてもらいました。
・授業中に倒れて授業が一旦中止
などなど…
人様に迷惑をかけるのは、やはり罪悪感があり、外に出たくなくなってしまいました。
中には同じ人に何度も迷惑をかけた事があります。
ついさっきまで元気だったのに、楽しみにしていたのに、自分のせいでまた迷惑をかける…。なんで、普通に遊べないのかな、普通に生活できないのかな…。1人で誰にも迷惑をかけずに倒れたほうがマシだ、誰にも会いたくない…。
そんな気持ちが渦巻き、涙も止まらず、ただ、ただ、ごめんなさいとしか言えませんでした。
きっと、優しい友達ばかりなので、迷惑じゃないよ、また遊ぼうと言ってくれる言葉は本当だと思います。それでも、やはり罪悪感は拭いきれません。
自分なりに運動したり睡眠時間をとったり、生活のリズムを崩さないようにしたり、それだけやっても、倒れることが腹立たしくて、情けなくて…。
自分が嫌になって、周りがすごく羨ましくて…。でも、そんなこと誰にも言えないから、どうして自分はこうなの?なんで?と言えないから。
倒れなくても、倒れそうで怖くて、冷や汗かきながら友達の前では笑って…。
実際この間カフェ行った時もきつかったんです(´・_・`)
最初は良かったんですが、少し食べすぎると内臓が痛くてしょうがなくなり血圧が下がるのか頭がボーっとし、冷や汗かきながら、笑っていました。
もちろん、友達といるのは楽しいので笑顔は嘘じゃありません。ただ、体の苦痛は、隠さないといけないので、楽しいという気持ちと、体が追いつかないというギャップが、また私の心を苦しめました。
ただでさえ、楽しみたい、もっと友達と遊びたいという気持ちと、体が思うように動いてくれないというギャップに苦しんでいるのに、周りの大人たちがさらに私を追い詰めました。
⑤親や大学の先生から言われたこと
1番理解して欲しいと思うのはやはり親です。
私は本当は他人に理解できるはずがない、というネガティヴ思考なのですが、まー1番身近な親には理解して欲しいと思ってしまうんです。
だからこそ、わかって欲しい人だからこそ、ちょっとした言葉でもかなり傷つきました。
中学生の時、よく倒れて、あちこち骨折したり血だらけになったりしていました。
『ねぇ、何で自分の体のことなのにわからないの?具合悪いなら自分で調節しなさい。』
調節できないから、気づけないから苦しいんです。まー、でも今考えれば、原因もわかってなかったししょうがないかと思うことにしました。
高校のとき、私はほぼ寝たっきりでした。学校も保健室登校、基本的に保健室で寝ている生活でした。たまに一コマいけるくらいで、まー、それでも朝起きれないので、親に叩き起こそれ、車で無理やり連れられていました。
その時によく言ってた言葉が
『気持ちの問題じゃないの?』
その言葉は、思うように体が動かない私にとって、グサリと刺さるナイフのようでした。
そして、大学生。カウンセラーの先生に親に相談しなさいと言われたので、どーせわかってくれないんだろうな、と思いながら話しました。
案の定理解してくれない…。
『友達の前で昔倒れたから、倒れるって思い込んでるんじゃないの?大丈夫よ!疲れてるだけかもよ!考えすぎ!』
これは私が遊ぶたんびに倒れてしまい迷惑をかけた友達に、また会うことになり、そして具合悪くなったことを話した時の言葉でした。
違う、そーいうことじゃない。ただ、また迷惑をかけるかもしれない、その怖さを、倒れることの罪悪感をわかってほしかったんです。
『そうだね、確かに怖いよね』
たった一言、たった一言、この言葉が欲しかったのです。私の辛さを、わかって欲しかった、寄り添って欲しかったのです。でも、そう言えずに、違うよ、そういうことじゃないよ、と言えずに、「うん、そうだね、考えすぎかも」と無理やり笑いながら答えました。
次に大学の先生に言われた言葉です。
『あなただけじゃないんだから、世の中みんな苦労している。だからそんなに悲観しちゃダメだよ!』
この言葉を聞いた後、1人でトイレに駆け込み吐き気と戦っていました。それくらい、ぐさりときた言葉なのです。
先生には、私の病気について説明してあります。もちろん、がんと比べたら死と隣り合わせの病気ではありません。そんなのわかっています。でも、私は必死に大学に通おうと、前を向こうとしていました。そんな時にこんな言葉を言われたら、悲しくてしょうがなかったです。
最後に病院の先生に言われた言葉です。
ある時に、血圧がかなり下がり、具合が悪くてしょうがない時がありました。かかりつけの病院は遠く行けそうにないので、家の近くに内科の病院に助けを求めました。その時に起立性調節障害という言葉を言いました。その後に言われた言葉が
『そんな、心の問題なんてどうしようもない、治療もできない、かかりつけのところに行ってくれ』
この時あまりの絶望とショックでほとんどこの後の記憶はありません。ですが、後々聞いた話ですがその後、飛び降り自殺をしようとしていたそうです。
私とラインのやり取りをしていた人が様子がおかしいことに気づき、家まで来て、開けっ放しのドアがやはりおかしいと思い入ってきたらベランダに足をかけている途中だったそうです。
私自身その出来事は覚えていません。
たまに私は解離症状を起こすため、きっとそのせいでしょう。
止めても言うことを聞かないで暴れ、ハサミを投げるなど、酷い有様だったそうです。
もちろん、自殺はいけないとわかっていますが、その時はよほどの絶望だったのでしょう。
私にとって、医者は唯一の頼りのツナです。それがなくなる、切り捨てられるのはとても辛いことだったのだと思います。れっきとした病気なのに、浅はかな言葉は人を死に追いやるのだということだと思います。
さてさて次で完結にしたいと思います!
長い文を読んでくださりありがとうございました!