人は変わらぬことを求める
どうもー、最近調子がいいレオンです!!
中学生の頃のようにやる気に満ち溢れてるんですよ(*´ω`*)
いつまで続くのやら……(笑)
掃除や洗濯などの家事や、勉強、ココ最近は毎日何でもこなしてます。
躁鬱の躁状態に近い感じですけど、まー、動けるのはすごく嬉しいです!
さてさて、今日の題名はドラマの中のセリフから引用してます。
『前に進もうと変わろうとするにはかなりエネルギーがいるし勇気もいる、だから人は日常を変わらないことを選ぶ』
確かに私もそんなところがあります。特に病気になってからですかね。
起立性調節障害という病名に甘えてるところがありました。もちろん身体的な病気なので心だけでどうにかなるものではありません。
そのことはちゃんと最初のブログの方に書いてあるので勘違いはして欲しくないなと思います。
私は高校生の時統合失調症のせいで学校に行けなくなりました。その病気の時はすごく辛かったです。(またおいおい話します)
その当時、課題が多かった学校でしたが免除され、授業もあまりでなくても何も言われませんでした。そして少し頑張れば親や先生に褒めてもらえるという環境でした。
その前中学校までに遡ります。中学校までの私は、完璧な人間でした。自分で言うのもなんですけどね(笑)
勉強もできたし、生徒会長を務めていたし、愛想もいい子でした。また、学校もほぼ無欠席でした。(中学の話も詳しくは後ほどします)
家もそこそこ厳しく、親は私を出来る子だと思ってたので満点をとっても当たり前だと言って褒めてくれず、私の弟ばかり褒めてたので劣等感を抱いていた時期でもありました。
また周りからのプレッシャーも凄かったのです。何故か高く期待されて、期待されるなんていいじゃないか!という人もいると思いますが、私からしたら心を休めることが出来ない日々でした。
だからこそ、高校のプレッシャーも何も無い状態が心地よかったのかも知れません。
中学時代までは高みに登るために毎日挑戦してました。
ですが高校で甘い蜜を見つけてしまったのです。一度甘いものを見たら、そんな現実を知ったら抜け出せません(苦笑)
大学に入って思ったんです。たしかにあの頃はすごくきつかったし、大学に入っても失神することや、朝起きれない事で悩んでた時期がありました。
だって、遊んでる時にも倒れるし、頑張りたい時に頑張れないもん。悔しいじゃん?それって。
だけど、どこかで、病気の状態でいたい自分がいるのです。分かってたんです。自分でも。
だからこそきつかった。頑張れるはずなのに、そんな状況に、病気を言い訳にしてるようで。
私は多分他の人より恵まれてる環境でしょう。
きっと、私がポジティブにとらえられる人なら、心が強ければ躁鬱にも起立性調節障害にもならなかったでしょう。
ただ、ちょっとした本音をここに書かせてください。
褒めて欲しかったの
大丈夫だよ味方だよと言って欲しかったの
休んでいいよって言って欲しかったの
潰れそうな私を助けて欲しかったの
何も言わなくても気づいて欲しかったの
助けてと言えない自分が悪いって知ってるの
分かってるよ自分次第だって
今からでも変われるって
こんな甘え方しか知らないから
変わりたくないという自分が邪魔するんだ
最後に、人はなぜ変わらないことを選びたがるのだろう。きっとそれは弱いから。変わるということはチャレンジの連続で、未知への遭遇だ。わからないものほど怖いものはない。
どうしたら変われるのだろう?
私が思うのは、まず自分が変わりたいと思うこと。自分の為でも人の為でもいいから願うこと。
そして、自分の居場所があること。きっと不安な心じゃ前へ進めないし登れないと思うから。ちゃんと休める場所を作ることが大切なんだろうなと思います。
私は前へ進みたい。頑張りたい。私は変わりたい。